05/03/2009 キミだけさ 忘れない
13歳でアルバム『ラプソディ』を買って、
「よぉーこそ」って叫ぶ”声”に、
全部持っていかれた。
クラスの同級生の女の子が好きで、
その子のことを考えながら、
ずっと「エンジェル」を聴いていた。
14歳で、初めてライブというものに出かけていった。
地震で壊れる前の神戸国際会館だった。
中学、高校、大学という
人生で一番感じやすい時に、一番影響された声。
「ヒッピーに捧ぐ」という曲で
”検視官と市役所は
キミが
死んだなんて言うのさ
明日また 楽屋で会おう
新しいギターを見せてあげる”
そう歌ったあなたの声は、
切り裂かれるような哀切に満ちていたのに。
「僕の自転車の後に乗りなよ」という曲の、
”キミだけさ 忘れない”という歌詞と叫びが、
ずっとずっと耳に残っています。
たぶんこれからも一生残ったままだと思います。
忌野清志郎さんのご冥福をお祈りします。
「よぉーこそ」って叫ぶ”声”に、
全部持っていかれた。
クラスの同級生の女の子が好きで、
その子のことを考えながら、
ずっと「エンジェル」を聴いていた。
14歳で、初めてライブというものに出かけていった。
地震で壊れる前の神戸国際会館だった。
中学、高校、大学という
人生で一番感じやすい時に、一番影響された声。
「ヒッピーに捧ぐ」という曲で
”検視官と市役所は
キミが
死んだなんて言うのさ
明日また 楽屋で会おう
新しいギターを見せてあげる”
そう歌ったあなたの声は、
切り裂かれるような哀切に満ちていたのに。
「僕の自転車の後に乗りなよ」という曲の、
”キミだけさ 忘れない”という歌詞と叫びが、
ずっとずっと耳に残っています。
たぶんこれからも一生残ったままだと思います。
忌野清志郎さんのご冥福をお祈りします。
08/20/2008 千夏考‐1
そんなわけで。
ブログやめますと書いて一月経たないうちにまた書いております。「GO&IN」が無事に終わり少し落ち着きました。たぶんほんの少し安定したんだと思います。
7月の末、妙な具合になりました。とにかく身体がきかないのです。動けない、動きたくない、メール一つ打つのも面倒で、できないのです。
抱えてる案件が膨張してて、有難い話なのですが事が先に進まないのです。
その段階でお盆中からお盆空けまでに出してしまわなければならない書き物やらなんやらが7、8本あったのです。「おっ、売れっ子!」と言われりゃ嬉しいですが世の中そんなに甘かない。すべてが「前段階」な話で、だってクライアントさんは「とりあえずよろしこっ」って気軽に言ってくるんだから。あっちはあとになって「今回は流しましょー」って簡単に言えるんだ、勝手なもんだけど、私らそうなっても文句一つ言えません。
で、それでもとにかく書かなきゃならんので、ウンウン唸ってました。実際、「あり得ない理由」で身勝手に流された話もあったりして。
いよいよ「こりゃあかん」と思い、ついに旧知の先生に診てもらったのです。
先生は一言言いました。「ウツです」。
えぇっ?!ビクったー!そりゃビクるじぇ。いくらなんでもそんなのハッキシ告知されたらよー。
ま、昔から躁鬱の気あるって薄々感じてたけど。
医者からー、そんなー。
あかんがな。そんなもん書き手っぽいっちゃぽいっけど。
仕事受ける立場の人間としちゃ命取りやがなっ!!
幸い「初期の初期」段階だったらしく、症状は数回の通院で改善されました。ま、なんちゅうか、ウツってのは本当にヤバいのは告知されても「そんなことないもん!」って言い張る人が多く、そういう場合は厄介らしいので、私みたいに「あ、やっぱし。良かった、理由がわかって」って思うやつはまだ大丈夫、らしいです。
そういうわけでブログも書けなくなったのです。
ブログやめますと書いてから本当に多くのメッセージ、書き込みをいただきました。読ませていただきながら、本当に有難い、申し訳ないと思いつつ。しかし反面「ショボい書き手一人消えたって株価は下がらねえ」とかダウナーなこと思ったり(だってサザンとは違うんだからさ)。
そう思いながら、ふと、身近で消えていったりまっとうに就職したり、とにかく筆折っちゃった、大勢の「書き手未満」の人たちを思いだしつつ、いや、まだまだ恵まれてるぜと自分に言い聞かせたり、けどまた沈み込んだりの繰り返しではありました。ホント、若槻千夏の気分がよくわかった。いや、別に彼女がウツだったってわけじゃなくて。
結局、最終的に抜け出せたのは「稽古場」があったからです。「GO&IN」の稽古も当初はホントに出ていけなくて辛かったのですが、土壇場でとにかく顔出して「なんせワシャこれやらにゃ死ぬっ」と言い聞かせつつ、腹から信頼してる役者や、若いダンサー、屈託のないキッズダンサーちゃんたちと稽古して、おかげで生気を取り戻しました。
なんていうのか。
ホントに。
途中で降りるのはすぐにもできるし。
もう一駅、乗り越したって誰に迷惑かけるでなし。
乗り間違えたらヘラヘラ笑いながら戻りゃいいかなんて思いつつ。
なんとか、恥ずかしながら、戻って参りました。
僕にとっての「重たい夏」ももうすぐ終わり、目前には「地獄の秋」が待ち構えております。
たぶんまたどっかで確実に降りそうになると思います。
けど、優柔不断なもんで、ホームでしばしグズグズしてても、結局、次来た鈍行にまた乗るんだと思います。
また少しづつ書かせてもらいます。
苦笑い、してくださいませ。
ブログやめますと書いて一月経たないうちにまた書いております。「GO&IN」が無事に終わり少し落ち着きました。たぶんほんの少し安定したんだと思います。
7月の末、妙な具合になりました。とにかく身体がきかないのです。動けない、動きたくない、メール一つ打つのも面倒で、できないのです。
抱えてる案件が膨張してて、有難い話なのですが事が先に進まないのです。
その段階でお盆中からお盆空けまでに出してしまわなければならない書き物やらなんやらが7、8本あったのです。「おっ、売れっ子!」と言われりゃ嬉しいですが世の中そんなに甘かない。すべてが「前段階」な話で、だってクライアントさんは「とりあえずよろしこっ」って気軽に言ってくるんだから。あっちはあとになって「今回は流しましょー」って簡単に言えるんだ、勝手なもんだけど、私らそうなっても文句一つ言えません。
で、それでもとにかく書かなきゃならんので、ウンウン唸ってました。実際、「あり得ない理由」で身勝手に流された話もあったりして。
いよいよ「こりゃあかん」と思い、ついに旧知の先生に診てもらったのです。
先生は一言言いました。「ウツです」。
えぇっ?!ビクったー!そりゃビクるじぇ。いくらなんでもそんなのハッキシ告知されたらよー。
ま、昔から躁鬱の気あるって薄々感じてたけど。
医者からー、そんなー。
あかんがな。そんなもん書き手っぽいっちゃぽいっけど。
仕事受ける立場の人間としちゃ命取りやがなっ!!
幸い「初期の初期」段階だったらしく、症状は数回の通院で改善されました。ま、なんちゅうか、ウツってのは本当にヤバいのは告知されても「そんなことないもん!」って言い張る人が多く、そういう場合は厄介らしいので、私みたいに「あ、やっぱし。良かった、理由がわかって」って思うやつはまだ大丈夫、らしいです。
そういうわけでブログも書けなくなったのです。
ブログやめますと書いてから本当に多くのメッセージ、書き込みをいただきました。読ませていただきながら、本当に有難い、申し訳ないと思いつつ。しかし反面「ショボい書き手一人消えたって株価は下がらねえ」とかダウナーなこと思ったり(だってサザンとは違うんだからさ)。
そう思いながら、ふと、身近で消えていったりまっとうに就職したり、とにかく筆折っちゃった、大勢の「書き手未満」の人たちを思いだしつつ、いや、まだまだ恵まれてるぜと自分に言い聞かせたり、けどまた沈み込んだりの繰り返しではありました。ホント、若槻千夏の気分がよくわかった。いや、別に彼女がウツだったってわけじゃなくて。
結局、最終的に抜け出せたのは「稽古場」があったからです。「GO&IN」の稽古も当初はホントに出ていけなくて辛かったのですが、土壇場でとにかく顔出して「なんせワシャこれやらにゃ死ぬっ」と言い聞かせつつ、腹から信頼してる役者や、若いダンサー、屈託のないキッズダンサーちゃんたちと稽古して、おかげで生気を取り戻しました。
なんていうのか。
ホントに。
途中で降りるのはすぐにもできるし。
もう一駅、乗り越したって誰に迷惑かけるでなし。
乗り間違えたらヘラヘラ笑いながら戻りゃいいかなんて思いつつ。
なんとか、恥ずかしながら、戻って参りました。
僕にとっての「重たい夏」ももうすぐ終わり、目前には「地獄の秋」が待ち構えております。
たぶんまたどっかで確実に降りそうになると思います。
けど、優柔不断なもんで、ホームでしばしグズグズしてても、結局、次来た鈍行にまた乗るんだと思います。
また少しづつ書かせてもらいます。
苦笑い、してくださいませ。
07/27/2008 閉幕考−1
さて。
本日(26日)、NHK土曜時代劇『オトコマエ!』、
無事最終回を迎えました。
これを機会とし、本ブログも閉幕させることにいたしました。
2年3ヶ月、考察の名のもとに書き飛ばしました数々の
落書きにお付き合いくださいました皆様、ありがとうございました。
多数のコメント、拍手、本当にありがとうございました。
ご無礼、ご迷惑おかけしました皆様、申し訳ございませんでした。
なお今後も作・演出公演告知、脚本担当ドラマ、映画、その他
関連作品のご案内のみ更新させていただきます。
ご興味いただけましたらご支援のほど宜しくお願い致します。
いつか劇場にてお会いできますことを。
生き難き日々は繰り返されども
行き難き道よりほかに、道もなし
つんのめり、また、つんのめり。
皆様のご健康とご多幸を祈りつつ。
幕。
本日(26日)、NHK土曜時代劇『オトコマエ!』、
無事最終回を迎えました。
これを機会とし、本ブログも閉幕させることにいたしました。
2年3ヶ月、考察の名のもとに書き飛ばしました数々の
落書きにお付き合いくださいました皆様、ありがとうございました。
多数のコメント、拍手、本当にありがとうございました。
ご無礼、ご迷惑おかけしました皆様、申し訳ございませんでした。
なお今後も作・演出公演告知、脚本担当ドラマ、映画、その他
関連作品のご案内のみ更新させていただきます。
ご興味いただけましたらご支援のほど宜しくお願い致します。
いつか劇場にてお会いできますことを。
生き難き日々は繰り返されども
行き難き道よりほかに、道もなし
つんのめり、また、つんのめり。
皆様のご健康とご多幸を祈りつつ。
幕。
07/14/2007 太田省吾さん
小演劇運動第一世代で、「水の駅」など
”沈黙劇三部作”で前衛劇の旗手として世界的に
知られた劇作家・演出家である太田省吾さんが、
13日(金)、肺炎のため逝去なさいました。
享年68歳。
太田省吾先生は、2001年、尼崎市主催の第1回
近松門左衛門賞選考委員であり、『いつも煙が目にしみる』
で優秀賞をいただいた折、授賞式会場から二次会に向かう
タクシーに二人だけでご一緒させていただきました。
車中でかけていただいた暖かいお言葉を忘れることができません。
太田先生は日本の近代演劇を創造してこられた仰ぎ見る先達であり、
私が初めて直に接することができた、まさに演劇界の巨人でした。
第1回「近松賞」優秀賞作品集(尼崎市発刊)に
寄せていただいた、太田先生の選評を記載させて
いただきます。
「『いつも煙が目にしみる』は、阪神大震災後の仮設住宅に
一人住まいする女と、戦後の社会を生きる女たちを並存
させて女たちの一筋縄ではかたずけられない生のリアリティー
が重層していく。実際の演出は易しくないが、同一空間
の中で二つの時代が描かれ、だからこそ〈重層〉する。
舞台という制約ある空間が、だからこそというという
力を発揮している。」
1995年、29歳で執筆し、以来丸5年、店晒しにしていた
『いつも煙が目にしみる』は、この近松賞でようやく拾い上げて
いただき、その後、『パウダア〜おしろい〜』と改題、同じく
近松賞選考委員であられた宮田慶子さんに演出いただき、
初稿から10年を経てようやく上演。
そして翌2006年、第57回読売文学賞をいただきました。
つまり、今現在、私がまがりなりにも「劇作家」を名乗り、
舞台活動を続けていられるのも、この近松賞で太田先生と
巡りあえたからに他なりません。
心より、ご冥福をお祈りいたします。
”沈黙劇三部作”で前衛劇の旗手として世界的に
知られた劇作家・演出家である太田省吾さんが、
13日(金)、肺炎のため逝去なさいました。
享年68歳。
太田省吾先生は、2001年、尼崎市主催の第1回
近松門左衛門賞選考委員であり、『いつも煙が目にしみる』
で優秀賞をいただいた折、授賞式会場から二次会に向かう
タクシーに二人だけでご一緒させていただきました。
車中でかけていただいた暖かいお言葉を忘れることができません。
太田先生は日本の近代演劇を創造してこられた仰ぎ見る先達であり、
私が初めて直に接することができた、まさに演劇界の巨人でした。
第1回「近松賞」優秀賞作品集(尼崎市発刊)に
寄せていただいた、太田先生の選評を記載させて
いただきます。
「『いつも煙が目にしみる』は、阪神大震災後の仮設住宅に
一人住まいする女と、戦後の社会を生きる女たちを並存
させて女たちの一筋縄ではかたずけられない生のリアリティー
が重層していく。実際の演出は易しくないが、同一空間
の中で二つの時代が描かれ、だからこそ〈重層〉する。
舞台という制約ある空間が、だからこそというという
力を発揮している。」
1995年、29歳で執筆し、以来丸5年、店晒しにしていた
『いつも煙が目にしみる』は、この近松賞でようやく拾い上げて
いただき、その後、『パウダア〜おしろい〜』と改題、同じく
近松賞選考委員であられた宮田慶子さんに演出いただき、
初稿から10年を経てようやく上演。
そして翌2006年、第57回読売文学賞をいただきました。
つまり、今現在、私がまがりなりにも「劇作家」を名乗り、
舞台活動を続けていられるのも、この近松賞で太田先生と
巡りあえたからに他なりません。
心より、ご冥福をお祈りいたします。
01/01/2007 ご挨拶(仮)
新年あけましておめでとうございます。
年末31日締め切りの台本を、土壇場になって
1月2日まで延ばしていただき、他にもあれこれと追われたため
年賀状一枚もお送りできませんでした。
落ち着きましたらあらためてご挨拶させていただきます。
「不義理の菱田」と呼ばれて幾十年。
今年も年明けから不義理大発信となりましたが、ご容赦下さいませ。
今年も劇場にて皆様とお会いできますことを。
年末31日締め切りの台本を、土壇場になって
1月2日まで延ばしていただき、他にもあれこれと追われたため
年賀状一枚もお送りできませんでした。
落ち着きましたらあらためてご挨拶させていただきます。
「不義理の菱田」と呼ばれて幾十年。
今年も年明けから不義理大発信となりましたが、ご容赦下さいませ。
今年も劇場にて皆様とお会いできますことを。
11/27/2006 実況考‐1
10/29/2006 快眠考‐1







